2023年3月11日土曜日

2023年ポルトガル旅行記(2−1)ポルト観光・午前中はケイジョ城へ

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ポルトの一泊目の朝です。

アパートで朝食を済ませ、徒歩5分のサン・ベント駅へ向かいました。アパートは地下鉄やバスのアリアドス駅の前で、近くには立派なポルト市庁舎があります。この辺りは既に世界遺産地区です。


道沿いに、世界で一番豪華なマクドナルドだと言われるマクドナルド・ポルト店もありました。入らなかったですが、シャンデリアのある内装が素晴らしいそうです。

ポルトガル鉄道の終点駅であるサン・ベントは観光名所になっています。構内はアズレージョ(タイル)装飾が美しいです。






駅の切符売り場で次の日とその次の日に観光する予定の往復切符を買っておきました。古都ギマランイスとブラガです。両方とも近郊電車で1時間ほどです。

それから、サン・ベント駅前の500番バス停に向かい、大西洋方面に向かいました。

サン・ベント駅の外観

バス停には停車駅と時刻表が書かれたボードが置かれています。

500番のバスは路線バスでも二階建てでした。

始発なので2階の一番前に座れました。景色が良く見えます。ドウロ川沿いの道路を河口の方に走り、大西洋に出た場所にある要塞の城、ケイジョ城へ向かいます。


途中で路面電車と並走します。前回(2019年5月)はこれに乗りました。人気があって混んでいました。

雲行きが怪しくなって、急に雨が降り出しました。

でもケイジョ城に着く頃には止んでいました。ラッキーです!

500番のバスで約30分の快適なドライブでした。

大西洋に面したケイジョ城はそれほど有名な観光地ではなく、ガイドブック「地球の歩き方」にも解説が載っていません。検索しても日本語の解説は見つかりません。

観光シーズンではないため、訪れる人は少ないです。細い吊り橋を渡って中に入ります。ちょっと怖い!
入場料は50セント。75円ぐらいです。でも、後でトイレを利用したら、50セント要求されました。

城というより要塞です。外から攻めてくる敵を見張り、戦ってきたのですね。海風で相当朽ち果てた感じでした。


お城に居るうちに、天気が良くなってきました。素晴らしい眺めです。

小さな博物館もありましたが、最近の兵士関係の展示でした。




この要塞は本当の名前を「サンフランシスコ・ザビエル城」というそうです。Wikipediaで調べてみました。それをグーグル翻訳しました。大昔はケルトの聖地だったのですね。

【入植の初期、ケイジョの岩の多い地域は、6 世紀に到着したケルトの部族であるドラガネス族の聖地でした。要塞は、すでに存在していた原始的な構造の上に、15 世紀のいずれかの時点で建設された可能性があります。ポルトガル王ジョン 4 世は、1643 年に新しい砦の建設を命じました。この砦は、フランスの軍事技術者ミゲル デ レコールによって設計され、当時王立無敵艦隊 (ポルトガル語: Capitão da Armada Real) の船長だったフェルナンド セザール デ カルヴァルハイス ネグレイロス (Fernando César de Carvalhais Negreiros) によって監督されました。
サン フランシスコ ザビエル城がいつ設立されたのかは誰にもわかりません。海岸がガリシア艦隊の脅威にさらされていた1661年から1662年の間であると推定されている[2]。
ポルト市の裁判官と市会議員、船長のアントニオ・ピレス・ピカオン、​​およびその他のキャラック船とキャラベル船の船長たちは、下船するための安全な場所がないため、砦の位置が悪いという結論に 1643 年に達した [1]。この地域は岩が多く、強い水の影響を受けていたためです。王国の技術者である修道士ジョアン・トゥリアーノは意見を求めるよう求められ、彼はその要塞をサイトから離れたペドラ・ド・ケイジョの地域に建設すべきであると判断した (既存の材料を使用)。
復興戦争中、市民がスペイン艦隊の戦隊からの攻撃を恐れていた時代に、砦は (市の費用負担で) 再建されました。】

お城を後にして海沿いを散歩し、早めのランチタイムにしました。
海を見渡す浜辺にある素敵なレストランに入りました。



美味しいサングリアで乾杯!

テラス席では地元のおじさん達がくつろいでいました。



ローストビーフやサンドイッチを頼んで美味しくいただきました。


それから最寄りのバス停から同じ500番のバスに乗って、ポルト市街に戻りました。帰りも二階席に座れました。

続く。

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